二度目は私が殺さなければ

 五時ごろ目が覚める。前頭部左に疼痛。薬を飲んでおこうと思いながら、飲まずに布団をかぶってしまう。九時ごろ起きる。案の定ひどい頭痛と吐き気。今日は嵐になると思う。このあいだ雨傘を出張先に忘れてきた。日傘はどこかの飲み屋でなくした。だから傘がなくて、会いに行く人もいない。でも自殺する若者がロシアでは増えているので、出社の腹を決める。びしょ濡れになって駅にたどり着くと、東急線は案の定遅延していた。嵐なのだ。
 ロシアのSNSではティーンエイジャーの間で自殺サークルが流行ったそうだ。アクセス数が多いコミュニティに報奨金が出るので、アクセス数を稼ぐために個人が恣意的に流行らせたサークルだ。新興宗教のような手口で若者を熱狂させ、自殺に追い込んだ。自殺しちゃったらもうページビューは稼げないのに。でも死んでしまうことが、簡単で美しい自己実現なのはほんとうなのだ。とてもシンプル。精神不安定を主張することはもう時代遅れになったと思っていたのだが、ものを持つことに自己表現を求めることができなくなった今の時代に自殺は向いているのかもしれない。OZマガジンあたりが自殺特集とか組んだら買うな。arはやらないだろうな。
 パソコンのできない上司が自分のマックブックで壊れたzipファイルを解凍しようとがんばっていたので、マックブックごと預かってターミナルから修復して解凍した。
 人は二度死ぬのだとむかしのライターが言った。二度目は私が殺さなければ。それは簡単で美しい、とてもうつくしい自己実現だ。忘れられてしまうこと。台風の過ぎた空の青いことと来たら、空を医者に入れてやりたいくらいだ。新盆に墓参りへ行った。私の田舎は横浜だ。横浜駅からタクシーに乗ると、初乗り料金が410円でないので驚く。急な坂をいくつも上って辿り着く三ツ沢墓地は墓に埋め尽くされた灰色の谷だ。向かい合う斜面のどちらも市営墓地だから、見渡す限りグレーの御影石なのだ。高価な石が異常気象を乱反射して、まとわりつく熱気が死者のみれんのようだ。手入れされた墓は二度目の死を迎えていない若い魂たちの棲家で、二度目は私たちが殺すのだ。誰もこの罪から逃れられない。私たちは人殺しだ。殺してやらなくてはならないのだ。
 

新年の手紙

 二〇一七

 血の沸騰するほど温めた体を水風呂に沈めると、喉の入り口あたりが冷たくなるような感覚がありませんでしょうか?これが何んだか新年に似つかわしいように思って、真新しい外套を羽織って風呂へ入りに出かけることにしたのです。新年口開けの銭湯は老婆でいっぱいでした。彼女たちも私と同じことを考えたのかも知れません。それで洗い場で使う椅子が足りておりませんで、しゃがんで顔なぞ洗っておりましたら、隣の老婆に蚊の鳴くような声をかけられました。「あすこで椅子が空いたわよ」リウマチか何かでいたるところが曲がっている、内気そうな老婆が、「取ってきてあげられたらいいんだけどねえ」と震えるか細い声で言うのです。あなた、年を取るということが、どういうことだかご存知ですか?今日覚えたことを、明日には忘れているのです。明後日には忘れたことも忘れているのですよ。そしてただ、何十年も昔の美しい思い出だけが、年老いたからだを苛んでくるのです。そういうことを思うとき、誰も悪くないのだということがわかるような気がするのです。正月だってね、好きで正月をやっているのじゃありませんし、私だって好きで私をやっているわけではありませんのです。正月が私を嫌いなことも、私が正月を嫌いなことも、正月が悪いのでも私が悪いのでもなかったんですね。あなた、ご存知だったんでしょうに。教えてくだすったらよかったんですよ。隣の老婆は洗い終え、ヨチヨチ湯船へ向かいました。東京の黒い湯船に枯れ枝のような体が消えると、そこまでリウマチにやられたかのように歪んでいた顔が弛緩して、何度も何度も繰り返してきた彼女の正月が湯に融けていってしまうのが見えるように思われました。それは決して悪いことではありませんのですよ。

 あれから三年が経ちました。それで私、外套を新調したのです。新らしい外套もべらぼうにすてきです。


 二〇一六

 それでね、今年もやっぱり喪中なのですよ。これでもう二親等は残っておりませんで、あとは父と私っきりなのです。つぎに喪中になるのは私か父が死ぬ時です。ピストルを提げたカウボーイ二人が、背を向け合ってだだっ広い荒野に立ち、スリー、ツー、ワンと歩を進め、振り返って銃声を轟かせる。そしてカメラは引いて二人の姿を遠景にしてしまう。結果は片方がくずおれることでわかるのです。二人きりの家族というのは、そういう気持ちですよ。大事なのはどちらが死んだかではなくどちらかが死んだということです。あなたにはずっとわからないでしょうし、わからないほうがいいのです。あなたの周りに、いつも笑顔が溢れているといいなと、私ほんとうにそう思うのです。私の周りではなく、あなたの周りに。どうしてみんな正月に映画を観るのでしょうね。他にすることがないのか知ら。西部劇って、なんだか正月に似てませんでしょうか?だだっ広い荒野、吹きすさぶ風、通り過ぎるだけの街、安易な命の遣り取り、ひとりきりの彷徨、内容のないマカロニウェスタン。それで父と向かい合って、誰れもお節を作りませんですからすしを取って食いました。このすしが昔の私にはほんとうのご馳走だったのですが、いまとなってはどうということもない、唯すしであるというだけのすしなのです。デパートの上層にあった食堂みたようなものです。私は横浜のそごうの食堂が好きでしたよ。高島屋ではなくてね。

 二〇一五

 朔日に雪が降りましたね。

 正月はたいてい晴れるものでしょう。ですから私はすっかり朔日に洗濯をする積りでいたのですよ。それが当てが外れたものですから、あらゆるカバーやシーツを剥いだ部屋で暫くぼんやりしてしまったわけなのです。一度剥いだシーツを戻すのは、汚れておらなんでも嫌なものでしょう。そのうえお正月と来ているわけですからね。そうなのです、今年ばっかりはもう正月から逃げ回るのはよしたのです。何せひとりぼっちなので、喪中になりようもないのですから。初詣へもゆきました。出店のたこ焼きと焼きそばを食べて、ソースせんべいを食べている子供を見て、結局何を食べても小麦粉とソースと紅ショウガを食べているわけだなァと思いました。子連れの男性があれやこれやと食べたがって子供に怒られていました。それから樽酒を一杯購って、日なたへ座っていつまでもいつまでも飲んでいました。大吉が出たから持ち帰りなさいと言われておみくじをポッケへ突っ込んだはずなのですが、飲みながらポッケへ手を入れたらもう見当たらないのです。何が書いてあったのかももう忘れました。こうやってまた気づいたら来年なのでしょう。私は今年のおみくじを失くしましたが、ある人は去年のおみくじを未だ持っていました。何でも去年は私が取っておけと言ったのだそうです。確かに大吉でした。ことによると、正月も私が好きで本当のところ早く会いたいのかもしれませんね。正月だってね、好きで正月をやってるわけじゃないのですから。あなたは疾うからそれを知っていたのでしょう。

二〇一四

十一月にたいそうすてきな外套を買いました。でもあんまり暖かそうな、シベリアにも着ていけそうな外套だものですから、暫らく着ないでとって置いたのです。それでひどく寒い日に、今日と思って着てみたら伯母が死んだという報せがきました。だからやっぱり今年も喪中なのです。どこで風邪をもらってきたのか、私ときたま咳がとまらなくなるのです。咳をしているとき、何んだかこっぴどくひとりぼっちなの、わかりますでしょう。新年の刺身包丁みたような空気の中で、けんけんけんけんと咳をしていてあなたのことを思い出したのです。それでまァ喪中でもあることですし手紙を書くのですよ。喪中でもあることですし、あなたじゃない人とデパートの地下へゆきました。定年間近という風情の店員で、歳末らしく派手な法被を着たのが、きゅうっと顔を中央によせて実に旨そうな声で「これは旨いですよ」と言った日本酒を購って、それであなたじゃない人と、正月を待たずに飲んだのです。旨かったですよ。お酒を飲んでもやっぱり咳が止まらなくって、けんけんけんけん言っていたのです。ばかみたいでしょう。あなたじゃない人に心配されてね。そうやって咳をしていて、ほんとうは私が正月を嫌いなんじゃなくて、正月の方で私を嫌いなんだということに気付いてしまいそうな感じがするのです。だから喪中だと、正月の表面だけでもちょいとばかし撫ぜさせてもらうことができるのでしょう。あなたは初詣へ行ったでしょうね。あなたは喪中ではないでしょうから。

二〇一三

 ことしは誰も死んじゃいないのですけど、親戚を辿れば誰かは死んでいるでしょうからやっぱりお祝いは控えます。だいたい、誰かが死んだからって何かを控えようというのが無理な話なのです。いつだってどこかで誰かが死んでいるのですから。正月に雨が降っていたこと、あんまりありませんでしょう。そのときにだって誰かが死んでいるのに、正月はいつも晴れているのです。あなたが死ぬとき、とても寒い日で、ピーカン照りだといいな。私は喪服の下にホッカイロを貼って行くでしょう。人が死んでも泣きませんが、そういう日なら、あなたが死ななくても泣ける気がするのです。私の時もそうしてね。気付かないうちに食べ物の好き嫌いがなおっているように、そのうち人が死んだら泣けるようになるのでしょうか。寒い日のピーカン照りでなくとも。歯医者さんにいくとき、寒い日で晴れてると、私泣きたくなるのです。別に歯医者さんに怒られるからじゃありませんよ。いや、歯医者さんに怒られるからかもしれませんね。歯医者さんもいまごろ、ハワイで新年をお祝いしていることでしょう。ハワイの新年ってどんな空気かしら。寒くて晴れていて人がいないと、新年らしいでしょう。だから私の住む町はいつも半分新年みたいなものですよ。動きの緩慢なお年寄りばかりでね。

二〇一二

 この間外祖母がおっ死んだので、それこそクリスマスに四十九日をやったくらいなので新年のあいさつは控えさせていただきます。正月の嫌いな私にはこの喪中というのがよい隠れ蓑で、ずいぶん久しぶりに正月を楽しむことができました。最近はデパートの地下が好きで、わざと年末の混みあう中へでかけていって買いもしない海産物など薦められてみるのです。新宿や銀座なんかと比べて横浜のデパートには年寄りが多いということがわかりました。というよりは、横浜で生きてきた私からすると東京は若者が多いなということなのです。若者といっても三十代くらいの幼い子供を抱えた人たちです。私は正月が嫌いです。むろんクリスマスも嫌いです。バレンタインも子供の日も雛祭りも嫌い、夏と来たら夏そのものが嫌いという有様なのですが、特に正月はむごたらしいものです。私がクリスマスを嫌いなのはアベックが憎いからじゃないのです。これらのお祝いは(夏なんて夏じゅうずっとお祝いしているようなものではありませんか)、カップルのものである以前に家族のものであり友達同士のものであり、私はそのどれにも属してこなかったからなのです。それでもクリスマスにはクリスマスを嫌いな仲間がいたのです。でもお正月にはかれらだってお正月を楽しんでいるのです。紅白を見ないまでもガキの使いを見るのです。実家へ帰るのです。おせちを食うのです。私は正月が嫌いです。でもことしは少し好きでした。ばかに高い伊達巻を買いました。喪中だからなのです。そして喪中なので新年早々手紙なぞ出す気になったのです。年賀状は書けないのです。宛先がないのが怖いのです。あれは数を出すものだから。でも手紙だったらだいじょうぶ。正月という点では、あなたも私の仲間じゃありませんでしょう。あなただって初詣に行ったのです。きっと。ねえあなた、きょねんの私と来たら新年が嫌いなばっかりに正教徒に改宗しそうな勢いでしたよ!

 

他人のベッドで目覚める朝

 「まさこちゃん」の家のベッドの脇にかかっていたカレンダーをよく覚えている。それには彼女の勤める会社の名前と、意味もなく美しい風景が載っていた。そしていつも数ヶ月前で止まっており、時折指摘するとまさこちゃんは毎回アラホントウと言ってまとめて何枚もベリベリと剥がすのだ。その剥がし方が雑なので、カレンダーの上の部分には剥がした跡が大きく残っていた。カレンダーは壁に雑に打ち込まれた釘に雑にひっかけられており、見もしないカレンダーを、賃貸物件の壁を傷つけてまで、何のために掛けていたのだろうとずっと思っていた。
 今日のように見知らぬ天上を見上げた朝は、まさこちゃんのことを思い出す。見知らぬ天上には見知らぬLEDライトがついていたが、部屋が明るいのは日当たりが頗る良いからで、そのせいでずいぶん早く目覚めたのだった。この早い時間からこの良好な日当たりということは眺望もいいだろうし、オートロック築浅五階、ここが代々木上原徒歩十五分であることを差し引いても十二万はくだらないなと思ったところでまさこちゃんのことを思い出したのである。まさこちゃんのうちはいくらだったのだろう。いくらの部屋の壁を傷つけて、あの人はカレンダーを掛けていたのだろう。子供のときは家族仕様の物件にしか住んだことがなかったから、彼女の部屋を随分狭く感じていたが、今思えば独身女性が暮らすにはむしろ広かったような気がする。あの部屋は三十平米はあっただろう。この部屋は二十五平米といったところか。そうだ、まさこちゃんは当時まさに年増盛りで、あくびをしただけの涙にさえ子供にもわかるほどの情感が溶け込んでいたのである。だからまさこちゃんが苦手だった。だからまさこちゃんの部屋では所在がなくて、カレンダーだの天上だのそんなものばかり見ていたのである。子供の遊び相手になるには、まさこちゃんには女の匂いが強すぎたのだ。まさこちゃんちで迎える朝は、今朝と少しも変わらない、他人のベッドで目覚める朝だった。
 みんなが彼女をまさこちゃんまさこちゃんと呼んでいた。まさこちゃんはカワイイワネと母もよく言っていた。事実彼女はかわいらしかった。年増女の発している情けが、彼女の価値をある意味では貶め、ある意味では持ち上げていた。そういう女だったのだと思う。いつもどこかもの問いたげな顔をして、みんなよりワンテンポ遅れて笑い声を立てる人だった。ネエまさこちゃんイイワヨネエと言って母はよく彼女をベビーシッターに使った。あなただってまさこちゃんが好きでしょう。まさこちゃんは独身女だけが持つ懸命さで精一杯尽くしてくれた。でもまさこちゃんが苦手だった。まさこちゃんの部屋の、骨組みだけの現代風のベッドが苦手だった。しゃれたキッチンや、酒瓶だの香水瓶だのそこかしこに並ぶ美しい容れものが恐ろしかった。ディオールの特徴的なフォルムの香水瓶があって、そのくびれがまさこちゃんの体を思わせるので嫌いだった。
 隣で眠る人間を起こさぬよう、身体を滑らせて布団から抜け出す。こうして自分だけが起き上がるときを好きになったのはまさこちゃんの部屋でだと思う。まさこちゃんは朝寝坊だった。それは彼女が独身だったからだろう。この世で自分だけが起きているような早朝の一瞬。世界は誰かに認識されなければ存在し得ない。だから自分だけが起きている今、世界の支配者は自分なのだ。早朝の一瞬を、そうやってくどくどしく解釈したのは大人になってからだが、あの時も朝日に照らされるとあどけなく見えたまさこちゃんを自分の支配下にあるように感じていたのだろう。肌理の粗い男の頬にも暁光が注いでいる。いかにも富ヶ谷のマンションといった風情の白っぽいフローリングに足を下ろし、一番そばに散らかっていた靴下を穿く。その後は玄関まで順番通りに衣服が落ちているから、余計な動作なしに外に出られるという寸法である。玄関脇の飾り棚に置いてあったブリーフケースも回収し、昨日の自分をよく思い出して、忘れ物がないかひとしきり考える。指輪はどこに置いてきたのだろう。この部屋に入るときにはもうなかったような気がする。まさこちゃんはなぜか寝る時だけ指輪をした。かまぼこ型の指輪だった。それは、母がいつもしているのと同じ形だった。要するに、父がしているのと同じ指輪だったのだ。考えが込んできて、何とはなしに玄関に腰を下ろす。ワックスの効いたフローリングをジーンズが滑る感触。指輪を失った自分の指の付け根を撫でる。まさこちゃんと寝ると、いつも彼女の左手と手を繋いでいた。指輪の感触を覚えているのだ。
 まさこちゃんをベビーシッターに使って、母が浮気をしていたのを知っている。念入りに身づくろいをして、母はまさこちゃんの家をアポなしで訪ねた。事前に電話などするより、押しかけてしまえばまさこちゃんが断らないことを知っているからだ。この子がまさこちゃんに会いたがるのよ、まさこちゃんカワイイモノネエ。ネェ、と自分以外の二人に同意を押し付けて母はいそいそと出かけていく。それからまさこちゃんは自分の会社に電話をする。父はまさこちゃんの上司だった。たぶんそれで彼らはお互いのスケジュールを把握していたのだろう。まさこちゃんは父と同じ会社に勤めていたのだ。あのカレンダーは、まさこちゃんにとっては自分の会社のものではなく父の会社のものだったのだ。賃貸の壁を傷つけて、父の会社のカレンダーをまさこちゃんは掛けていたのである。まさこちゃんのベッドに父も寝て、まさこちゃんの指輪をした左手を握っていたのだろう。
 彼らの公然の秘密が暴かれることは遂になかった。母は何かを期待して、まさこちゃんの家を告知なく訪れていたのかもしれない。日常を壊すことのできる何か。しかし結局それは起きなかった。幾重にも入り組んだ生活をまさこちゃんの情け深い身体がうまく滑らせて回していた。彼女の身体は実に優渥なるものだった。余すところなく軟らかい肉が被うそれは、すべてを容れられてしまいそうな底なしの穴だった。
 大理石調の三和土に昨晩脱ぎ散らかされた靴を揃える。内羽根式の黒いパンチドキャップトゥ。自分のパンプスを引き寄せて足に嵌める。立ち上がって振り返ると、まだ青みの強い日差しの中で、クロケットジョーンズの持ち主が自分のベッドで泥のように睡っている。ヒールが音を立てないようにそっと足を持ち上げる。
 エレベーターの匂いで二日酔いが込み上がって来、井の頭通りでタクシーを拾おうと決意してマンションを出て行く。夏の朝の、これから気温の上がる気配が襲い掛かってくる。

以上二七七四字
テーマ「渋谷区」

パン屋激戦区目黒区で食べログ評価3.7以上のパン屋に囲まれて生活する飽食現代の権化こと私が好きなパン屋教えます

「サンドイッチ屋」は含みません。「パン屋」のみです。


おしゃれ幻魔大戦目黒区

「おしゃれ大戦」「せんせーんふこーぉく!」って聞いて何かを思い出してくれる人とぼくは友達。

大岡山「イトキト」

惣菜パン業界の現人神。良コスパ。ここのフルーツサンドこそ至高。一人一個で食べないと、ピザパンのまんなかのマヨネーズのとこを誰が食べるかでケンカになること必至

大岡山「ショーマッカー」

ドイツ。自然志向めんどくさい系。すっぱくて旨い。基本食事パン。

都立大学「トシオークーデュパン

朝早い系。パンオショコラ等、「パリジャンの朝食.・*」みたいな小さめの甘いヤツが充実しててウマイ。私はウィンナーはいってるヤツが好き。うまいし朝早いし言うことないね!



歌舞伎町だけが新宿じゃないぞ

東の住人が西新宿に行くとインテリビームで殺されます。

大久保「木村屋」

昭和系。たまごパン、ポテトサラダパン。普段気取ったパン屋にばかり行ってると安くてびっくりする。ポテサラを始めフィリング類が全体的に薄味やわやわ系の果敢無げで頼りない、あの日の思い出の中に息を潜めてあなたのこと待ってる的な守ってあげたくなっちゃうパン。店構えそっけなさすぎ

東新宿「峰屋」

イートインの気の抜けっぷりが最高。障碍者の作業所並に気が抜けてる。商売の中心はバーガー用のバンズの卸しのようで渋谷とかでよくトラックを見かけます。

東新宿「一本堂」

もちもちで歯ごたえありすぎてもはや違う食べ物の食パン。ハイジのおばあちゃんだったら食えない。



吉原周辺はコッペパンに茶色のものを挟むのみである

三ノ輪橋の高齢化っぷりがヤバい。老いることと気が違うことの近さを感じる

三ノ輪橋「オオムラパン」

ここのコッペパンが一番スタンダードにおいしいかな

三ノ輪橋「青木屋」

とにかくソース 個包装タイプなので湿気でくちゃってなっちゃってるのもいとおかし

入谷「ニューコッペパンの店みはるや」

どこがニューなのかは知らん コッペパンてかりすぎ



池袋に関してはコメントないです

西のほう「みつわベーカリー」

キてる。マジキてる。メープルナッツがヤバい。カロリー。



総論

私は米が好きだ。

新年の手紙

 二〇一六

 それでね、今年もやっぱり喪中なのですよ。これでもう二親等は残っておりませんで、あとは父と私っきりなのです。つぎに喪中になるのは私か父が死ぬ時です。ピストルを提げたカウボーイ二人が、背を向け合ってだだっ広い荒野に立ち、スリー、ツー、ワンと歩を進め、振り返って銃声を轟かせる。そしてカメラは引いて二人の姿を遠景にしてしまう。結果は片方がくずおれることでわかるのです。二人きりの家族というのは、そういう気持ちですよ。大事なのはどちらが死んだかではなくどちらかが死んだということです。あなたにはずっとわからないでしょうし、わからないほうがいいのです。あなたの周りに、いつも笑顔が溢れているといいなと、私ほんとうにそう思うのです。私の周りではなく、あなたの周りに。どうしてみんな正月に映画を観るのでしょうね。他にすることがないのか知ら。西部劇って、なんだか正月に似てませんでしょうか?だだっ広い荒野、吹きすさぶ風、通り過ぎるだけの街、安易な命の遣り取り、ひとりきりの彷徨、内容のないマカロニウェスタン。それで父と向かい合って、誰れもお節を作りませんですからすしを取って食いました。このすしが昔の私にはほんとうのご馳走だったのですが、いまとなってはどうということもない、唯すしであるというだけのすしなのです。デパートの上層にあった食堂みたようなものです。私は横浜のそごうの食堂が好きでしたよ。高島屋ではなくてね。

 二〇一五

 朔日に雪が降りましたね。

 正月はたいてい晴れるものでしょう。ですから私はすっかり朔日に洗濯をする積りでいたのですよ。それが当てが外れたものですから、あらゆるカバーやシーツを剥いだ部屋で暫くぼんやりしてしまったわけなのです。一度剥いだシーツを戻すのは、汚れておらなんでも嫌なものでしょう。そのうえお正月と来ているわけですからね。そうなのです、今年ばっかりはもう正月から逃げ回るのはよしたのです。何せひとりぼっちなので、喪中になりようもないのですから。初詣へもゆきました。出店のたこ焼きと焼きそばを食べて、ソースせんべいを食べている子供を見て、結局何を食べても小麦粉とソースと紅ショウガを食べているわけだなァと思いました。子連れの男性があれやこれやと食べたがって子供に怒られていました。それから樽酒を一杯購って、日なたへ座っていつまでもいつまでも飲んでいました。大吉が出たから持ち帰りなさいと言われておみくじをポッケへ突っ込んだはずなのですが、飲みながらポッケへ手を入れたらもう見当たらないのです。何が書いてあったのかももう忘れました。こうやってまた気づいたら来年なのでしょう。私は今年のおみくじを失くしましたが、ある人は去年のおみくじを未だ持っていました。何でも去年は私が取っておけと言ったのだそうです。確かに大吉でした。ことによると、正月も私が好きで本当のところ早く会いたいのかもしれませんね。正月だってね、好きで正月をやってるわけじゃないのですから。あなたは疾うからそれを知っていたのでしょう。

二〇一四

十一月にたいそうすてきな外套を買いました。でもあんまり暖かそうな、シベリアにも着ていけそうな外套だものですから、暫らく着ないでとって置いたのです。それでひどく寒い日に、今日と思って着てみたら伯母が死んだという報せがきました。だからやっぱり今年も喪中なのです。どこで風邪をもらってきたのか、私ときたま咳がとまらなくなるのです。咳をしているとき、何んだかこっぴどくひとりぼっちなの、わかりますでしょう。新年の刺身包丁みたような空気の中で、けんけんけんけんと咳をしていてあなたのことを思い出したのです。それでまァ喪中でもあることですし手紙を書くのですよ。喪中でもあることですし、あなたじゃない人とデパートの地下へゆきました。定年間近という風情の店員で、歳末らしく派手な法被を着たのが、きゅうっと顔を中央によせて実に旨そうな声で「これは旨いですよ」と言った日本酒を購って、それであなたじゃない人と、正月を待たずに飲んだのです。旨かったですよ。お酒を飲んでもやっぱり咳が止まらなくって、けんけんけんけん言っていたのです。ばかみたいでしょう。あなたじゃない人に心配されてね。そうやって咳をしていて、ほんとうは私が正月を嫌いなんじゃなくて、正月の方で私を嫌いなんだということに気付いてしまいそうな感じがするのです。だから喪中だと、正月の表面だけでもちょいとばかし撫ぜさせてもらうことができるのでしょう。あなたは初詣へ行ったでしょうね。あなたは喪中ではないでしょうから。

二〇一三

 ことしは誰も死んじゃいないのですけど、親戚を辿れば誰かは死んでいるでしょうからやっぱりお祝いは控えます。だいたい、誰かが死んだからって何かを控えようというのが無理な話なのです。いつだってどこかで誰かが死んでいるのですから。正月に雨が降っていたこと、あんまりありませんでしょう。そのときにだって誰かが死んでいるのに、正月はいつも晴れているのです。あなたが死ぬとき、とても寒い日で、ピーカン照りだといいな。私は喪服の下にホッカイロを貼って行くでしょう。人が死んでも泣きませんが、そういう日なら、あなたが死ななくても泣ける気がするのです。私の時もそうしてね。気付かないうちに食べ物の好き嫌いがなおっているように、そのうち人が死んだら泣けるようになるのでしょうか。寒い日のピーカン照りでなくとも。歯医者さんにいくとき、寒い日で晴れてると、私泣きたくなるのです。別に歯医者さんに怒られるからじゃありませんよ。いや、歯医者さんに怒られるからかもしれませんね。歯医者さんもいまごろ、ハワイで新年をお祝いしていることでしょう。ハワイの新年ってどんな空気かしら。寒くて晴れていて人がいないと、新年らしいでしょう。だから私の住む町はいつも半分新年みたいなものですよ。動きの緩慢なお年寄りばかりでね。

二〇一二

 この間外祖母がおっ死んだので、それこそクリスマスに四十九日をやったくらいなので新年のあいさつは控えさせていただきます。正月の嫌いな私にはこの喪中というのがよい隠れ蓑で、ずいぶん久しぶりに正月を楽しむことができました。最近はデパートの地下が好きで、わざと年末の混みあう中へでかけていって買いもしない海産物など薦められてみるのです。新宿や銀座なんかと比べて横浜のデパートには年寄りが多いということがわかりました。というよりは、横浜で生きてきた私からすると東京は若者が多いなということなのです。若者といっても三十代くらいの幼い子供を抱えた人たちです。私は正月が嫌いです。むろんクリスマスも嫌いです。バレンタインも子供の日も雛祭りも嫌い、夏と来たら夏そのものが嫌いという有様なのですが、特に正月はむごたらしいものです。私がクリスマスを嫌いなのはアベックが憎いからじゃないのです。これらのお祝いは(夏なんて夏じゅうずっとお祝いしているようなものではありませんか)、カップルのものである以前に家族のものであり友達同士のものであり、私はそのどれにも属してこなかったからなのです。それでもクリスマスにはクリスマスを嫌いな仲間がいたのです。でもお正月にはかれらだってお正月を楽しんでいるのです。紅白を見ないまでもガキの使いを見るのです。実家へ帰るのです。おせちを食うのです。私は正月が嫌いです。でもことしは少し好きでした。ばかに高い伊達巻を買いました。喪中だからなのです。そして喪中なので新年早々手紙なぞ出す気になったのです。年賀状は書けないのです。宛先がないのが怖いのです。あれは数を出すものだから。でも手紙だったらだいじょうぶ。正月という点では、あなたも私の仲間じゃありませんでしょう。あなただって初詣に行ったのです。きっと。ねえあなた、きょねんの私と来たら新年が嫌いなばっかりに正教徒に改宗しそうな勢いでしたよ!

 

私の宗教について

 人に嫌われたと思う時に私を支えているのは「でもあいつより私のほうが私のことを嫌いである」という考えだ。

 人が恐れるのは「わからないこと」であり、であるからして宗教が生まれたのである。宗教の役割は説明することにある。だからヤハウェ(ヱホバ)の行動は理不尽でなければならなかった。此岸は理不尽だからだ。
 科学で説明できないことがあるからといって宗教の優位性を証明しようとする人もいるが、それは違う。そもそも目的が違うのだから。宗教はこじつけ。へりくつ。
 しかしながら此岸にさ迷う魂はへりくつを求めるのである。
 なぜここにあらねばならぬのか?
 

 私は「わからないこと」を常に「私のことが嫌いだから」で説明しようとする。そして、それよりも自分のほうが私を嫌いであると思うことによって、自分の知の優位性を証明せんとしている。私は知っている。だから怖くない。


 だから私の神様は私のダメさ加減だ。