新年の手紙

二〇一二

 この間外祖母がおっ死んだので、それこそクリスマスに四十九日をやったくらいなので新年のあいさつは控えさせていただきます。正月の嫌いな私にはこの喪中というのがよい隠れ蓑で、ずいぶん久しぶりに正月を楽しむことができました。最近はデパートの地下が好きで、わざと年末の混みあう中へでかけていって買いもしない海産物など薦められてみるのです。新宿や銀座なんかと比べて横浜のデパートには年寄りが多いということがわかりました。というよりは、横浜で生きてきた私からすると東京は若者が多いなということなのです。若者といっても三十代くらいの幼い子供を抱えた人たちです。私は正月が嫌いです。むろんクリスマスも嫌いです。バレンタインも子供の日も雛祭りも嫌い、夏と来たら夏そのものが嫌いという有様なのですが、特に正月はむごたらしいものです。私がクリスマスを嫌いなのはアベックが憎いからじゃないのです。これらのお祝いは(夏なんて夏じゅうずっとお祝いしているようなものではありませんか)、カップルのものである以前に家族のものであり友達同士のものであり、私はそのどれにも属してこなかったからなのです。それでもクリスマスにはクリスマスを嫌いな仲間がいたのです。でもお正月にはかれらだってお正月を楽しんでいるのです。紅白を見ないまでもガキの使いを見るのです。実家へ帰るのです。おせちを食うのです。私は正月が嫌いです。でもことしは少し好きでした。ばかに高い伊達巻を買いました。喪中だからなのです。そして喪中なので新年早々手紙なぞ出す気になったのです。年賀状は書けないのです。宛先がないのが怖いのです。あれは数を出すものだから。でも手紙だったらだいじょうぶ。正月という点では、あなたも私の仲間じゃありませんでしょう。あなただって初詣に行ったのです。きっと。ねえあなた、きょねんの私と来たら新年が嫌いなばっかりに正教徒に改宗しそうな勢いでしたよ!

 

二〇一三

 ことしは誰も死んじゃいないのですけど、親戚を辿れば誰かは死んでいるでしょうからやっぱりお祝いは控えます。だいたい、誰かが死んだからって何かを控えようというのが無理な話なのです。いつだってどこかで誰かが死んでいるのですから。正月に雨が降っていたこと、あんまりありませんでしょう。そのときにだって誰かが死んでいるのに、正月はいつも晴れているのです。あなたが死ぬとき、とても寒い日で、ピーカン照りだといいな。私は喪服の下にホッカイロを貼って行くでしょう。人が死んでも泣きませんが、そういう日なら、あなたが死ななくても泣ける気がするのです。私の時もそうしてね。気付かないうちに食べ物の好き嫌いがなおっているように、そのうち人が死んだら泣けるようになるのでしょうか。寒い日のピーカン照りでなくとも。歯医者さんにいくとき、寒い日で晴れてると、私泣きたくなるのです。別に歯医者さんに怒られるからじゃありませんよ。いや、歯医者さんに怒られるからかもしれませんね。歯医者さんもいまごろ、ハワイで新年をお祝いしていることでしょう。ハワイの新年ってどんな空気かしら。寒くて晴れていて人がいないと、新年らしいでしょう。だから私の住む町はいつも半分新年みたいなものですよ。動きの緩慢なお年寄りばかりでね。

二〇一四

十一月にたいそうすてきな外套を買いました。でもあんまり暖かそうな、シベリアにも着ていけそうな外套だものですから、暫らく着ないでとって置いたのです。それでひどく寒い日に、今日と思って着てみたら伯母が死んだという報せがきました。だからやっぱり今年も喪中なのです。どこで風邪をもらってきたのか、私ときたま咳がとまらなくなるのです。咳をしているとき、何んだかこっぴどくひとりぼっちなの、わかりますでしょう。新年の刺身包丁みたような空気の中で、けんけんけんけんと咳をしていてあなたのことを思い出したのです。それでまァ喪中でもあることですし手紙を書くのですよ。喪中でもあることですし、あなたじゃない人とデパートの地下へゆきました。定年間近という風情の店員で、歳末らしく派手な法被を着たのが、きゅうっと顔を中央によせて実に旨そうな声で「これは旨いですよ」と言った日本酒を購って、それであなたじゃない人と、正月を待たずに飲んだのです。旨かったですよ。お酒を飲んでもやっぱり咳が止まらなくって、けんけんけんけん言っていたのです。ばかみたいでしょう。あなたじゃない人に心配されてね。そうやって咳をしていて、ほんとうは私が正月を嫌いなんじゃなくて、正月の方で私を嫌いなんだということに気付いてしまいそうな感じがするのです。だから喪中だと、正月の表面だけでもちょいとばかし撫ぜさせてもらうことができるのでしょう。あなたは初詣へ行ったでしょうね。あなたは喪中ではないでしょうから。

 二〇一五

 朔日に雪が降りましたね。

 正月はたいてい晴れるものでしょう。ですから私はすっかり朔日に洗濯をする積りでいたのですよ。それが当てが外れたものですから、あらゆるカバーやシーツを剥いだ部屋で暫くぼんやりしてしまったわけなのです。一度剥いだシーツを戻すのは、汚れておらなんでも嫌なものでしょう。そのうえお正月と来ているわけですからね。そうなのです、今年ばっかりはもう正月から逃げ回るのはよしたのです。何せひとりぼっちなので、喪中になりようもないのですから。初詣へもゆきました。出店のたこ焼きと焼きそばを食べて、ソースせんべいを食べている子供を見て、結局何を食べても小麦粉とソースと紅ショウガを食べているわけだなァと思いました。子連れの男性があれやこれやと食べたがって子供に怒られていました。それから樽酒を一杯購って、日なたへ座っていつまでもいつまでも飲んでいました。大吉が出たから持ち帰りなさいと言われておみくじをポッケへ突っ込んだはずなのですが、飲みながらポッケへ手を入れたらもう見当たらないのです。何が書いてあったのかももう忘れました。こうやってまた気づいたら来年なのでしょう。私は今年のおみくじを失くしましたが、ある人は去年のおみくじを未だ持っていました。何でも去年は私が取っておけと言ったのだそうです。確かに大吉でした。ことによると、正月も私が好きで本当のところ早く会いたいのかもしれませんね。正月だってね、好きで正月をやってるわけじゃないのですから。あなたは疾うからそれを知っていたのでしょう。

教室の原理

 友だちいないのもいい加減にしろよって感じだが私は国会中継が好きだった。

 耳打ち、ニヤニヤ笑い、太平洋の波うち際みたようなさんざめき、内容のない野次、そしてそれらを黙殺せんとする回答者。あれは、学校の教室と同じだったのではあるまいか。

 過去形なのは単に今家にテレビがないからだ。テレビ見ないアピールに苛立つ人は多いと思うが、私はテレビが大好きで見まくっていたからこそのテレビ見ないアピールなので許して欲しい。今でも「為替と株の値動きです」というNHKアナウンサーの空耳が聞こえるし、おじゃる丸が見とうて見とうて仕方ないのでおじゃる。

 まろが元々テレビ好きなのはそなたにもわかっていただけたと思うが、特に国会中継はもう毎日毎日観ていた。政治には大して興味がなく、CS放送で延々と自然を流しているチャンネルでも多分よかったのだと思う。ただCS放送に加入していなかったのだ。あるいはむしろ、けんかや火事を見物する愉しみに近いものであったかもしれない。

 そう、けんかの見物に近いものだったのだろう。国会で野次が飛び交うことは社会の授業で教わることだ。野次!いかにも旧態依然とした行為ではないか。野次や隣の人との会話、内輪話、内緒話。前に立って話す人間と自分たちの間に壁を挟むような行為は、教室に似通っているのである。野次はパフォーマンスであり、反論機会の与えられぬ側の意見表明であり、議会の流れやリズムを作るものだ。ディスカッションの盛り上がりが重要であることは確かだし、私はもっとアゲアゲ↑↑でやったらいいと思っている。でも登壇者と壁一枚はさみ、集団対個人に持ち込むそのやり様は、教室で行われている教師vs生徒、優等生vsみんなと似た構図だ。登壇者自体、惰性で授業を行う老教師みたいなのが少なくない。理不尽な発言に応答せず、授業妨害も黙殺する。

 今政治に対して多弁な傾向のある若者というのも、教室の原理の中にあるのではないだろうか。つまり、教室の様相を黙殺する側、理不尽な教師を集団で論破せんとする快感に近いのではないだろうか。

 学校の話などしていたら忍たま乱太郎が観たくてたまらなくなってきた。私は高校時代、早く帰宅した日にはおじゃる丸忍たま乱太郎を観ながら夕飯を作っていたのだ。わざわざテーブルの見える位置にまな板を持ってきて、さっさと加熱調理に入ればいいのに意味もなく千切りなどしていたものである。忍たまは声に出したい名前が多いですよね、たきやしゃまるとかひえたはっぽうさいとかあんどうなつのじょうとか、尼子騒兵衛先生の日本語感覚はいいですね。忍術学園の一年ろ組は生徒達がみんな暗くて顔にタテ線入ってるんだけど、先生に至っては名前が斜堂影麿で潔癖性(だっけ?)、笑うと体調崩す徹底ぶり。忍たまで描かれる学校は、クラスの中で集団対個人になることはない。でもそこでも私は居場所ないんだろーな。まーまろはやんごとなきお子様だからしょうがないでおじゃるな。

ねむりのこと

 夢の中で、これは夢だと疑っていることのあわれさ。苦しさ。

 夢の話はつまらないというが私は夢の話が好きだ。本人だけがつらくて面白くて話しているその気持ちがうつくしいと思う。子守唄に「起きて泣く子のつらにくさ」という言葉があって、これは母親ではなく子守りをしている奉公人(本人も子供なのである)がうたう歌だが、私はなんとなくその言葉を思い出すのだ。他人の子供が起きて泣くと、その他人に自分は打擲される、ここにいるのは他人の家族達だ。自分のあわれさ憎さは誰にも知られることがないのである。

 待ち人がくる夢を見たことがある。寝ている枕元で腕時計の音がする。私は腕時計をする習慣がないから、誰れかが来たのだと知れたのである。体が動かないから夢だろうと夢の中で思った。そしてそれは本当に夢だったのだ。夢の中で、望むことが起きたのに、夢だと疑っていることは苦しかった。起きてからのほうがむしろ、夢ではなかったのではないかと思われた。ねむりを疑うことの苦しさは、自分を疑うことの苦しさだ。それは誰にも知られることがない。

 

 私の大好きなチェーホフの短編に「ねむい」というのがある。

アントン・チェーホフ Anton Chekhov 神西清訳 ねむい СПАТЬ ХОЧЕТСЯ

 簡潔をよしとしたチェーホフの筆が冴え渡る名作だ。

赤んぼを殺して、それからねむるんだ、ねむるんだ、ねむるんだ。……

  

 睡眠はなによりも自分ひとりの範疇でしかないことだと思う。

 引用した子守唄は、いわゆる五木の子守唄だ。「私が死んだからって誰が泣いてくれるだろうか、裏の松山で蝉は鳴いているが。」十代そこそこの少女たちにこう歌わせたのは、他人の家庭の冷たさである。

 私たちは他人の家庭の連なりのなかに生きている。だれも、あなたのあわれさ憎さを知る人はいない。

忘却が作り出す匂い

 久しぶりに実家に帰ったら完全に年寄りの家の匂いになっていた。あるいはもとからある程度年寄りの家の匂いだったのに住んでいる間は気づかなかっただけかもしれないが、それにしてもあんまりだと思うほど年寄りの家の匂いがしていた。年寄りの家の匂いを君は知っているだろうか。臭い訳ではない。しかし、私は年寄りの家のにおいが苦手だ。何かむなしさにとらわれてしまうのだ。

 年寄りの家のにおいは、年寄り独特の衣服の化繊と、蚊取り線香、埃、ぬか漬け、様々の匂いに分析できる。その匂いに刺激はない。くさいのでは、ないのだ。ただただ納得のゆかぬ、埒のあかぬ匂いなのである。

 実家に帰ったのは必要にせまられて実印を捺してもらいにであった。私も親父もお互いシャイボーイなので、シューをゲイジングしたままマイブラよろしく不明瞭にぽつぽつと、必要最低限のことだけを話した。スリープ……ライクアピロー………てなもんである。ついでに家に残してあった冬物のニットなどを持ち帰ったら、やっぱり年寄りの家のにおいがしていた。いま、とりあえず夜風にさらしてみているところである。

 私は年寄りの家のにおいが苦手だ。それは、年老いたが故の不自由が、非積極性が、何事へもの無関心が、生活の術の忘却が、作り出すものに思えるからである。年寄りは生活の術さえ忘れていく。手が不自由になって千切りができなくなるだけのみならず、千切りという概念を忘れていくのである。無関心。忘却。そうやって使われなくなったさまざまのもの、片付けられることのない季節家電、来客を失った客間、そうしたものが孕む停滞が、その堆積が、年寄りの家の匂いを形成していくように思えてならないからなのだ。

 

FJSBのKKDについて

 私は飲食店を探すのも好きだし料理も得手なのでそこそこいいもん食ってると思うが、冨士そばのカレーかつ丼は至高である。最高と至高の戦いとかどうでもいい。冨士そばのカレーかつ丼の一人勝ちだ。美味しんぼの最終回は雄山を冨士そばに連れて行って終了だ。そのあまりの説得力に記事にするには内容が乏しいだろうからついでに冨士そばの各店舗の独自メニューでも取材して行ったらいいと思う。

 だってカレーでかつ丼なのだ。勝ちだろう。

 カツカレーと同じだと思った日本語の情緒のわからんバカは一生カツカレーにソースだばだばかけて食ってろ。カレーにカツが載っているのではない。かつ丼にカレーがかかっているのだ。カレーかつ丼にこれ以上の説明はいらない。それが旨そうだと思えないバカは一生おしゃれカフェでロコモコ丼でも食っていればいい。

 そもそも冨士そばがすばらしいのだ。行った事ありますか、冨士そば。率直に言って冨士そばは蕎麦としては旨くない。立ち食い蕎麦の中でもクオリティは微妙である。クオリティを求めるなら靖国通りをJR新宿駅方向に戻って歌舞伎町のいわもとQに行こう。(いわもとQの件についてはまた改めてお話しします)冨士そばは、ラーメン二郎がラーメンではなくラーメン二郎であるのと同様、そばではなく冨士そばなのである。

 私が一番好きな冨士そばは新宿伊勢丹のパークシティ3という建物にある。伊勢丹でしかも隣りはマリアージュフレールというお紅茶の専門店である。このビルのテナントに冨士そばを採用した伊勢丹の人にカレーかつ丼を奢りたい。冨士そば愛好者はマイベスト冨士そば店舗がいつも心にあるはずだ。なぜなら冨士そばは店ごとに雰囲気も味もちがうからである。オリジナルメニューもあり、この伊勢丹の店舗にはそば茶プリンという誰が頼むのかわからないメニューがある。そば茶プリンを頼んだ事は無いが、ここのカツ煮は卵が半熟でうまい気がするのと店が狭くてこ汚いのと、おじいちゃんとおじちゃんの間くらいの店員が流行のワンオペでてんやわんやしているのが好きなのでいつもこの店舗を使う。近くの新宿三光町店は広くてきれいだがカレーカツ丼におしんこ(てゆーか福神漬け)がつかないのだ。

 私は24時まで近くの新宿ゴールデン街でアルバイトをしており、その帰り道にいつも「今日はそばにする、今日はそばにする、ゆず鶏ほうれん草、ゆず鶏ほうれん草」と唱えながらここまでやってくる。富士そば恋しさのあまり靖国通りをひた走ることさえある。カレーカツ丼は何しろカツ丼にカレーがかかっていてその下には当然米があるという食い物なので、うら若き乙女が24時に食うにはふさわしくない(このうら若き乙女、当然晩飯は晩飯でしこたま食っている)ことはわかっている。だからいつも、今日こそはそばで我慢しよう、肉が載ってるやつでもいい、大海老天そば(すごくフォトジェニックな食べ物なのでぜひググってみてほしい)にしてもいいから、と唱えながら靖国通りを歩いているのに、不思議な事に気付くと券売機に560円が吸い込まれ、私はゆず鶏ほうれん草ではなくカレーかつ丼と書かれた食券を手にしているのである。「どうしてここにカレーかつ丼の食券が!?!?」あっけにとられたままカウンターに座り食券を差し出す。この時間、工事が終わる時間なのかニッカボッカはいた兄ちゃん達に囲まれて食う状況に陥りがちである。これがまたいい。ちょっと怖いけどそれがまたいいのだ。こういうスピーディーに食うべき店では少々恐縮しているくらいで食べるのが旨いのだ。早く食べて行かないと!自分は場違いなのでは?そういう気持ちがまたスパイスになるものである。

 早く食べて行かないとならないのは周りを怖い兄ちゃんたちに囲まれているからのみならず、終電が近付いているからでもある。時計を確認する。終電まで15分あればカレーかつ丼を頼んで大丈夫だ。5分で提供、5分で完食、5分で駅のホーム。ある種のトライアスロンのような完成された配分である。15分を切ったらそばに変更する。そして富士そばによれないくらいなら終電を諦める。

 カレーかつ丼は、ただかつ丼にカレーがかかっただけの食べ物である。テレビドラマ化もされた「めしバナ刑事タチバナ」という孤独のグルメのフォロワー系の漫画は、第一話でカレーかつ丼を取り上げており(激シブ!)、主人公の刑事はそれが原因で出世を逃す。彼はカレーかつ丼について「1+1は3じゃなくてもいい、2でいい」と述べている。確かにそういう食べ物なのだ。立ち食いそばならではのふにゃふにゃのとんかつは甘いダシがシミシミ。そしてあまあまでとろとろのカレー。そして、そして、ご飯にも、甘いカツ煮のダシが、しみてるの!!!!!最高!!!!ひゅーひゅー!!!そして急いで食わねばならぬこの状況!ゆくてを阻む猫舌!!ほとんど飲み込むようにかき込んで、席を立つ。急いでいるそぶりを表に出さぬよう、極力気の抜けた声で唱える「ごちそうさまでーす」。コンロのほうを向いたままの店員さんの「ありがとうございました」を背に、駅へ走る。急がねばならぬ状況がカレーかつ丼に集中させるので極端に狭くなっていた視野が広がり、外気が心地よくほほを撫ぜる。最高。

 だから海原雄山も、新宿でウイスキー注ぎ散らかすバイトして、よっぱらって、そして富士そばにくればいいのです。それで不毛な戦いは終わるのです。食べ物に文句を言うのではなく、それを楽しめる状況を自ら作り出すことが重要なんだよォ!あれ最終的にカレーかつ丼褒めてなくない?あれ?でもとにかくカレーかつ丼は最高です。普通に食べても最高だよ。だってかつ丼にカレーがかかってんだよ。幼稚園時代の私に教えたらちびっちゃうくらいの贅沢だよ。なんていうかさ、「ピザまん」みたいなうれしさなんだよね。だってピザってあんなに窯で焼いたりしてこだわるものなのに、それをふっかふかのまんじゅうに入れて「ピサ」とか称しちゃうんだよ。しかも旨いんだよ。あ、ピザまんたべたい…。

 

(「ふじ」と「かつ」の表記揺れはめんどいので無視)

約束をしたはずなのにあのこたち私を抜きで遊んでる夏

感じやすい子どもの体躯で息をするまだ暫くはそれを堪えてる

吠えたくる夜中の犬はかなしくて昼間の犬はねむってゐる様

赤チンにオキシドールに絆創膏それだけ入れた抽斗のにおい

 

夏が嫌い日射しが日々を殺してて遠くとおくで何かのお祝い

 

約束をしたはずなのにあのこたち私を抜きで遊んでる夏

決めつけでクラスメートに呆れられ私じゃないって言えなくて夏

サンダルで水たまりの中突っ込んで生暖かさに打ち震え夏

少女らは白濁駅を塗りたくるSPFにとけていく夏

茶もなしに湿気ったせんべい食うような青い身体持て余し夏

 

ひとりでも彼女の生理が来なくても平等に朝がやってきて夏

 

きみは未だ何んにも知らずにゐて下さいプール帰りの重たいからだで

 

 

洗剤を抛りこむとき陽がさして日々のうつろが曝されている

朝が来てきのうが夢でないことを知るときひとり台所に立ち

 

 

うしなわれ二度とは戻らないものはとおくの海で泳いでいるの

 

 

 

そのときはあなたのことが好きだったねむれる虫の子供の記憶で

坂道を転がり落つる未練なりシャンプー変えたの失敗だったな

ちぎられる芋虫みたいだ私たちまだ生きなくちゃ沖漬食べよう

芯の白茹でたキャベツを噛む音が脳に響いたひとりの部屋で

エントロピー一生そうして祈ってろやけどを冷やす氷を食べる

 

皿を割る音が響いた白昼だあの日に全部置いてきたのだ 

鳥は飛ぶ蟻は地を這うそれだけのそれだけのことがわからないのか

 

 

 

 

痩せなくちゃ言ってるうちは痩せないよここより他に世界はないし

 

 

(以上、自選・夏の短歌でした)

ケーキ型の活用法と東急ハンズ礼賛

 酔っぱらった勢いで日曜の昼日中という最低のタイミングで築地に行ったらちょうどよく豪雨に見舞われ、早く店を閉めたいおっちゃんから、酔っぱらった勢いでマグロの中落ちと鮭の切り身、あわせて1、2kg買い込んだ。帰りにまな板も買った。ハンズで三千円、築地の買い物より高かった。本当にハンズはえらい。東急ハンズに行って金を出しさえすればたいていのことは解決するのだ。いつか彗星のしっぽが地球に重なってこの世から酸素がなくなっても、東急ハンズに行けばなんとかなることだろう。築地の移転も東急ハンズが何とかしてくれるかもしれない。金で。

 新品のまな板にマグロを載せたらサイズ感がおかしかった。魚屋でみると普通の大きさでも、まな板に載ってしまうとにわかにデカく見えるものである。急に酔いが冷め、その日は冷蔵庫に放りこんでなかったことにした。

 翌日、しらふで冷蔵庫を開けると、かなりのスペースがでかい魚の死体によってデッドスペースと化していた。これは、料理するしかない。食わねばなるまい。覚悟を決めて、マグロを再びまな板に載せた。これが本当の俎上の魚である。全然うまいこと言えてないけど、こういうのゼロベースで考えるっていうんでしょ?

 で大好物のなめろうを作ったりして頑張って大分食べたんだが(めっちゃうまかった)、当然食いきれない。この旨い魚を冷凍して台無しにするのはあまりに惜しい。魚をすこしでもマシな状態で冷凍するには冷凍の速度を上げるためにステンレスに載せて冷凍庫に入れるのがいいのだが、我が家にバットに類するものはない。なんか使えそうなものは、と頭上の戸棚を開けると、銀色のまるいものが見えた。ケーキ型である。

 魚のさくは一般的にかなり長めの長方形だ。それがふたきれあったのを半分ずつ食べ、かなり短めの長方形になったのが功を奏してまるいケーキ型にぴったりおさまった。このケーキ型もしかして築地で売ってたのかな?これ用に?いや、これも東急ハンズで買ったように思う。こんな時のために東急ハンズはケーキ型を2way使用にしていたのか?マグロ冷凍容器とケーキ型の2way。東急ハンズが天才すぎる。東急ハンズすごい。東急ハンズのカード久しぶりに使ったら久しぶりすぎたらしくて結構たまってたはずのポイントぜんぶ切れててゼロからのスタートになってたけど全然憤りがわいてこない。丸いからうちの小さい冷凍庫にも入れやすい。ふたはないけど小さいほうを下にすれば重ねやすい。しかも底が外せるし、なんだかケーキみたいな形をしていて愉快である。東急ハンズが本当に神。

 また東急ハンズで使いもしないケーキ型だの不要な工具だの買ったら最後二度と広げないけどすてきな模造紙だのごちゃごちゃ買いたい所存である。

 

 そういうわけでうちにまぐろと鮭がめちゃめちゃ余ってるので誰かお米もって食べにおいで。