菅原孝標女のヤバさ

今週のお題「日記・手帳」

 高校時代、更級日記が好きだった。好きだったというより、あれは同族嫌悪の怖い物見たさだったのだろう。
 要するに更級日記というのは、本に人生をめちゃめちゃにされた女の自伝である。私みたいじゃないか。
 要しすぎたのでもうすこし砕く。筆者にして主人公(日記だからね)の菅原孝標女は少女時代に源氏物語に出会う。当時の源氏物語と言えばもう流行の最先端、最新鋭の娯楽だ。流行ってるテレビドラマとかそんなレベルの話ではない。「物語」というものが生まれたてほやほやの時代なのだから。そんで物語の中に憧れすぎちゃって、現実が見えなくなっちゃって「いつか光る君が…!」って感じで青年期を過ごし、気付けば適齢期を過ぎて「よく考えたらうち大した家柄じゃないし私ブスじゃん」と来たもんだ。それから仏教に頼ってみるんだけど、まーちょっと今更よねって感じで残りの人生はてきとーにやりすごします、来世に期待!っていう話。やっぱり私みたい。この他力本願と、それさえ思い込めもしないこの感じ。
 更級日記は「あつま路の道のはてよりも、なお奥つ方に生い出でたる人」で始まる。田舎もんがどうしたんだろうね、という自虐なのだ。
 これといってドラマチックな展開もなく、恋をすることもなく過ぎていく筆者の人生の中で、一瞬だけ色がともる場面がある。宮仕えする中でイケメン貴族とちょっとした色恋沙汰があるのだ。でもその時の菅原孝標女は、何もせずに身を引いてしまう。あんなに憧れていた物語的な出来事なのに。なにしろ、自分は適齢期を過ぎた受産階級の(要するに中流だ)女に過ぎない。仕方ないのだ。きっと彼女はこの思い出をいつまでも胸にしまいこんでいたことだろう。
 どうしようもない、つらいだけで物語にはならない不幸が続いたりして筆者は現世をあきらめ、終わりらしい終わりもなくこの日記は終わっていく。

 でも、自分の人生をうっちゃってから書かれているはずの源氏物語の思い出はやっぱりきらきらしている。だって、十三の女の子が「物語っつうやつが見てみたいんだよお〜」っつって仏像まで作ってお参りするんだよ。かわいいじゃん。

 そうまでして望んだ源氏物語をまとめて入手する場面がある。

源氏の五十余巻、櫃に入りながら、在中将・とほぎみ・せり河・しらら・あさうづなどいふ物語ども、ひと袋取り入れて、得て帰る心地のうれしさぞいみじきや。
 
 はしるはしるわづかに見つつ、心も得ず、心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、人も交じらず、几帳の内にうち伏して、引き出でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ。昼は日暮らし、夜は目の覚めたる限り、灯を近くともして、これを見るよりほかのことなければ、おのづからなどは、そらにおぼえ浮かぶ

 誰にも邪魔されずに寝っころがってまとめ読みする源氏物語はもう最高で、后の位だってどーでもいいって感じなのだ。でもこういう思い出を、菅原孝標女はこうやってしめくくってしまう。

夢に、いと清げなる僧の、黄なる地の袈裟着たるが来て、「法華経五の巻を、とく習へ」と言ふと見れど、人にも語らず、習はむとも思ひかけず。物語のことをのみ心にしめて、われはこのごろわろきぞかし、盛りにならば、かたちも限りなくよく、髪もいみじく長くなりなむ、光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめと思ひける心、まづいとはかなく、あさまし。

 夢にお坊さんが出てきて法華経でも勉強しろって言ってくれたのに無視したといって後悔している。そして、「今はかわいくないけど女盛りになれば夕顔や浮舟(どっちも源氏物語の登場人物の美女)みたいになるのよ!って思ってたの超恥ずかしい!!ぎゃー!ばたばたばた!」って感じだ。みなさん身に覚えがあると思います。

 菅原孝標女がヤバいのは、結構な年齢になってもそういう風に過去を振り返っていて、子供時代の思い出として処理できていないことだということに最近気付いた。それだけ自分の今を認められていないのだ。
 彼女が物語を好きだった事、これだけは本当のことだった。それはこの日記を読めばわかってしまう。
 そういうことを、認めて生きていかなきゃいけないな、と思うのだ。

 (飽きたのでまとめが雑になりました)