TVタックルひろゆき出演に思う/匿名性こそがいじめられっこの救済だった

 日本において世界は一つになりつつある。
 すべての発言はいずれ本名に紐付けられ、虚空に言葉を投げかけて木霊を聞くような旧いインターネット、あのすばらしくも混沌としたなつかしい未来はなくなってしまう。
 世界は一つになっていくしかないことに気づいて、私は先生にはなれないと思ったのだった。

 TVタックルネット規制派と話させるためにひろゆきホリエモンが呼ばれた。
 あの場においてネット規制派の言っていたことは、昔テレビを非難した大人たちが松本人志に「親が真似するなって言えばいいだろう」と言われていたのと同じことである。要するに、理解できない若者が増える→わかりやすい何かを仮想敵にする→それを攻撃する、いつもの大人の遣り口だ。なんかその大人の遣り口にロングヘアでネトウヨの若者寄りの人間が加担してるのがいかにも2010年代ですが。
 被害者遺族のことを考えろといったその口で感情論は話していないと言う政治家が政治家をやっていることにも戦慄するが、いじめの対策のためにネットの匿名性をなくすという論調は、あまりにも何事に対してもなんにも知らない言い様である。
 加害者にいじめを辞めさせることは、加害者への救済であって被害者への救済ではない。加害者が犯罪者になるのを防ぐというだけだ。いじめはなくなりっこないのだから、それよりも被害者への救済を急ぐべきなのである。そしてインターネットの利用を規制する=いじめの手段を規制することは、加害者の救済に過ぎない。
 本来、インターネットはいじめられっこの棲みかだったはずだ。そこでは私が冴えないデブスだなんてことは誰も知らなかった。ちょっと上手い絵を描ければ、面白いことが言えれば、褒めてくれる人たちがたくさんいた。私は小学校のとき転校生のK保さんと中国人のBちゃんしか話す相手がいなかったが、インターネットでは人気者だった。その中であれこれ作ったりイベントに出展したりしたことが、それなりに社会性を持った生き物として成長できた理由だったと思う。
 
 世界は一つじゃないということ。学校だけが世界のすべてじゃないということ。それがいじめられっこへの唯一の救済だったはずなのだ。

 いじめられたんなら学校なんか辞めちゃえばいい。義務教育は出席していなくても卒業できるし、進学の方法はいくらでもある。私は高校の成績は最悪だったが、同級生たちの中ではマシなほうの大学に進学した。あなたが努力して、あなたに合うコミュニティを見つけられれば、あなたがいじめられていたなんて思う人はいない。ちょっとした武勇伝にして笑い飛ばすことだってできる。
 でもいつかすべての発言に責任を持たなくてはならなくなったら?どこにいっても、いじめられっこがいじめられっこであった事実が付き纏う。「いじめられた」というのは烙印のようなもので、同じ世界の中ではどこにいってもいじめられっこはいじめられる。だから世界を複数持つことが、いじめられっこの烙印を薄める唯一の手段だった。
 そして簡単に自分の経歴をリセットできる、匿名性のコミュニティこそがその手段として有用だったはずなのだ。

 大人になるということは、多面性を持つことだと最近思う。会社での自分、家庭での自分、友達のなかでの自分。その多面的な世界をきちんと構成し実績を持つことによって自分に自信を持ち、評価されない不安感から逃れ、「本当の自分」探しからリタイアすることが大人になることだと思う。まあ私はまだ本当の自分を探してるんですけども。
 だから逃げることは大人になる一つの手段だ。
 

 このまんがが結構よかった。
 大人はいつも世界が一つであるかのように振舞う。それが間違いなわけではなくて、どこにいっても努力は必要だからそういうふうに教えるべきなのかもしれない。でも必要なときに必要な逃げを打つこと。それを教えられる人であることを私は優先したくて、先生になりたいと思っていたことがあった。
 しかしもう世界は一つになっていくしか道がないのではないだろうか。そんで戦争にでもなるんじゃないでしょーか。はーあ。

 あ・でも資本主義社会が成熟して共産主義になるなら、
 資本主義への傾倒→価値観が統一される(資本のみを評価するようになる、日常的に言えば経済的成功・リア充化のみが評価される)=私が言っているところの「世界が一つになる」→共産主義ってことか!?まあいいやお茶漬けでも食べよ……