中国人のS藤が金魚にえさをあげて学校に来なくなったこと

 もっと思い出の話とか書いてって言われたので思い出の話をします。

 小学校のクラスメートにS藤というのがいた。彼は中国人だった。今にして思えば円を描いた顔の輪郭や色の白さはあきらかに大陸のそれであり、表情にも中国人らしいものがあったような気がするのだが、日本に生まれ育った彼を小学生たちが中国人だと気付くことはなかっただろうと思う。彼が疎ましがられていたのは彼が中国人だからではなく、彼のどん臭さやわがままそうに突き出した下唇、伊勢丹の地下で売ってる「おまん」みたいな外見の為であっただろう。

 私は当時中国人のBちゃん(彼女は中国名だった)がほとんど唯一の友達で、彼女の話からS藤が彼女の同胞であるということはなんとなく気付いていた。だがその時は中国という国に対するイメージもさほど強くなく、それを意識することはあまりなかった。
 S藤が中国人だということを初めて意識したのは彼の母親が呼び出されたところに居合わせた時が最初であった。教室のベランダでひまわりを栽培する課題が出ており、S藤にはそれをこなそうという意志が見られなかったようだ。そのことを中心に日ごろの学習態度を注意すべく母親が呼び出されていたようで、そしてどういう経緯でなのかひまわりの鉢をS藤の母がほじくっているところに出くわしたのである。
 そのときの担任が彼女にそれを指示したとは思えない。いま考えてみると、S藤の母が担任教諭の指摘(家庭での生活習慣も見直して下さいといったような)の意図を理解できず、じゃあ私がやればいいんでしょう!と的外れの怒り方をしてやっていたのではないだろうか?
 もう日が落ちて暗くなったベランダで、S藤の母は鉢植えに覆いかぶさるようにしゃがみこみ、なぜか鍵で土を穿っていた。学習教材らしい、ドラえもんみたいに真っ青なプラスチックの鉢植えだった。教室の明かりを反射して鍵がちらちらきらめいていた。S藤の母は、ぽっちゃりしたS藤とは似ても似つかぬ痩せぎすの女性だった。それで私は、そうかS藤は中国人なのだなと思ったのだった。

 S藤は単に少々鬱陶しがられていただけだったのだが、同級生たちが成長し意識がはっきりしてくるにつれて積極的な攻撃を受けるようになった。S藤はよく直接に悪口を言われ、おまんみたいな白い顔を真っ赤にして泣いていた。その時すでに4年生であったから、悪口とはいえ言語によってコミュニケーションを図る同級生たちよりも、理不尽を言語化できずに泣いてしまうS藤が確かに幼稚だったのだ。幼稚さに対して子供のコミュニティは厳しい。男子たちのグループからはじかれたS藤は、いつも一人で行動している私に話しかけるようになった。S藤が嫌だからでもいじめの波及を恐れたのでもなく、単に誰とも話したくないがために私はそれを避けていたのだが、放課後水槽で魚に餌をやっているS藤に以下のようなコメントをした。
「S藤はリアクションを取るからいじめられるのである。とはいえやはり悪口を言われて気にしないことが無理だというのには共感する」
 それを担任だった30代なかばの熱血型の女性教師が見ており、彼女は私たちを仲良くさせようとした。なんて単純な脳みその足りない、善良なM月先生!クラスの多数派に属する人たちというのは、少数派に属する人間を勝手につがわせて、からかって楽しむことがある。まったくそれと同じことを彼女は善意からやってのけようとしたのである。それがきっかけで私はS藤との接触を絶つようになった。

 翌年はS藤とクラスが分かれた。秋口のある日、下校時間を過ぎて、私は隣のクラスの教室に忘れ物を取りに行った。もう外は夜で、強い月明かりと水槽のライトだけが教室を明るくしていた。そこにS藤がいて、水槽の金魚に餌をあげていた。S藤は色が白かったから、光源の乏しい教室の中で妙に目立った。

 それっきりS藤は学校に来なくなった。何度か誰かがオタヨリを届けに行っていたようだ。彼がどうなったのか、私はもう知らない。