はいしゃさんおこらないでvol.1「歯垢の多い生涯を送って来ました。」

 恥の多い生涯を送って来ました。
 自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。*1

私の生活は対症療法

 人間失格の手記の主が「人間の生活ってなんだかわかんねー」と言っているのは、彼が狼少女だからではなく実利が理解できないからだ。布団で寝ることが習慣だから布団で寝るのではなく、布団で寝ると暖かいから布団で寝るということがわからないのだ。
 私が人間の生活というものがわからんのはその逆だ。私は布団が暖かいから布団で寝ている。布団で寝る習慣があるからではない。私の生活は対症療法的で、卑近な言い方をすれば「躾がなっていない」のである。掃除の習慣があるのではなく、部屋が汚れたから掃除をする。食事の習慣があるのではなく、腹が減れば食事をする。そして歯を磨く習慣もやはりないのである。私に躾がなっていない原因は母親の不在とそれによる中途半端な精神的自立だ。経験値の足りないまま自分で考えて行動してしまったが故に、目先の利益に惑わされ生活習慣を身につけられなかったのである。もっと簡単に言えば自分に甘かったのですね。
 歯というのはその人の生育環境を推し量る一つの基準に間違いない。歯こそは習慣というものが利する最たるものだろう。日々のはみがきが歯の健康を作る。だから私が暮らしてきたその暮らしが、その恥が、歯に顕れているのである。

実に恥の多い生涯である

 手記の主の人生が「実」際に恥が多かったかはわからない。彼は実が理解できないのだから。しかし私はその逆なので、恥が多いのは確かなのだ。*2
 私の歯はガッチャガチャだがそんなにコンプレックスはなかったりする。そもそも小児矯正を自ら放棄したのは「ブスの歯が治ったところで仕方なかろう」という意図によるものであり、自分の容姿に関しては会得がいっているので、コンプレックスというほどのこともないのである。とはいっても、やはり大人になって歯のことを考えると恥ずかしい。容姿に対するコンプレックスとしてではなく、その生活の浅薄さが浮き彫りになるようで恥ずかしいのである。

もう、いいかげん歯と向き合います

 ライフスタイルなんかクソ食らえで生きてきた。私は日々の暮らしを大事にする気はない。宵越しの銭は持ちたくない。だがもう20代後半だ。生活と向き合わねばなるまい。住民税とかも払うのだ。歯を治すというのは、生活と向き合うことなのだ。自分に躾をしていくことだ。

ていうか、親知らずのとこに異常が起きたんですよね

 あるときだんだん口が開かなくなっていった。

 それはほっといたら(ほっとくなよ)いつのまにか開くようになったのだが、その数日後、朝起きてみるとなんか自分の顔が違った。よくよく見てみると左右で顔の輪郭が違うのである。

 はからずも仕事(写真のレタッチとかするので)で重要な気付きを得た。
 大して痛くもないので、また放置してもよかったのだがこれを機に歯医者に行きなおそうと決めました。

歯医者通いをとちゅうで挫折しないために、日記にしていく所存です。

 歯のことは恥ずかしいから人に話してこなかった。でも経過がどんなに恥ずかしくても治しちゃえば大丈夫だ!結果が大事だ!!終わりよければすべてよし!だからむしろ積極的に恥をさらしていこうじゃないか!!!
 ……生活と向き合う(つまり、過程を大事にする)って言ったのと矛盾してますけども。
 というわけでとりあえず現状です。

 ひでえなしかし。

*1:太宰治人間失格

*2:私は太宰治が嫌いで今回は文章の装飾のために引用しているだけなので文学的解釈の話として受け取らないで下さい