二度目は私が殺さなければ

 五時ごろ目が覚める。前頭部左に疼痛。薬を飲んでおこうと思いながら、飲まずに布団をかぶってしまう。九時ごろ起きる。案の定ひどい頭痛と吐き気。今日は嵐になると思う。このあいだ雨傘を出張先に忘れてきた。日傘はどこかの飲み屋でなくした。だから傘がなくて、会いに行く人もいない。でも自殺する若者がロシアでは増えているので、出社の腹を決める。びしょ濡れになって駅にたどり着くと、東急線は案の定遅延していた。嵐なのだ。
 ロシアのSNSではティーンエイジャーの間で自殺サークルが流行ったそうだ。アクセス数が多いコミュニティに報奨金が出るので、アクセス数を稼ぐために個人が恣意的に流行らせたサークルだ。新興宗教のような手口で若者を熱狂させ、自殺に追い込んだ。自殺しちゃったらもうページビューは稼げないのに。でも死んでしまうことが、簡単で美しい自己実現なのはほんとうなのだ。とてもシンプル。精神不安定を主張することはもう時代遅れになったと思っていたのだが、ものを持つことに自己表現を求めることができなくなった今の時代に自殺は向いているのかもしれない。OZマガジンあたりが自殺特集とか組んだら買うな。arはやらないだろうな。
 パソコンのできない上司が自分のマックブックで壊れたzipファイルを解凍しようとがんばっていたので、マックブックごと預かってターミナルから修復して解凍した。
 人は二度死ぬのだとむかしのライターが言った。二度目は私が殺さなければ。それは簡単で美しい、とてもうつくしい自己実現だ。忘れられてしまうこと。台風の過ぎた空の青いことと来たら、空を医者に入れてやりたいくらいだ。新盆に墓参りへ行った。私の田舎は横浜だ。横浜駅からタクシーに乗ると、初乗り料金が410円でないので驚く。急な坂をいくつも上って辿り着く三ツ沢墓地は墓に埋め尽くされた灰色の谷だ。向かい合う斜面のどちらも市営墓地だから、見渡す限りグレーの御影石なのだ。高価な石が異常気象を乱反射して、まとわりつく熱気が死者のみれんのようだ。手入れされた墓は二度目の死を迎えていない若い魂たちの棲家で、二度目は私たちが殺すのだ。誰もこの罪から逃れられない。私たちは人殺しだ。殺してやらなくてはならないのだ。