コンタクトレンズが乾いてひっついて取れなくて、悲しいことを思い出そうとする

 映画は消費財だから好きでない。

 私が最新の映画を見ない理由はこの一文で言い尽くすことができる。作品としての質を論じたいのではない。最近の映画はろくでもねえなとかいいたいわけではない。ただそれは、泣く(あるいは感情を動かす)というスポーツとして消費されているように思われるのだ。それの善し悪しを論じたいわけでもない。ただ、そういうもんだなァ、と思うだけの話である。おおげさなモチーフを扱った映画やドラマではなく、たとえば武士の家計簿とか(ごくたまにしか見ない新作映画の宣伝でしか新作映画を知ることがないので例がむっちゃ古い。映画は映画上映前に宣伝されるものだから映画を見ない人は映画を知らないのだ)時代劇でさえ台所事情に踏み入るように、また食事をあつかう作品が増えるように、そのスポーツも動きがより小さくなっているように思う。

 私は映画で泣くことがない。感動しないということではなく、まあ涙腺がかっちかちにかたいのである。だからそのスポーツが、あんまり好きではないのだ。

 

 ここ十年以上、私はほとんど泣くことがなかった。泣くほどのこともなかったのだが。それがここ3ヶ月くらいで2回ほど泣いた。泣き方を思い出したのだろう。泣くかどうかということは、感受性の豊かさや感情の振れ幅ではなく、私が人の顔をした鬼だということなのではなく、涙の出し方を知っているか知らないか、というだけのことだったんだなと思う。それで最近は故意に泣く練習をすることがある。それは本当にスポーツだなと思う。うまく感情をたかぶらせることは、もう技術だ。そのうち映画館で泣くこともできるようになるかもしれないな。