私の宗教について

 人に嫌われたと思う時に私を支えているのは「でもあいつより私のほうが私のことを嫌いである」という考えだ。

 人が恐れるのは「わからないこと」であり、であるからして宗教が生まれたのである。宗教の役割は説明することにある。だからヤハウェ(ヱホバ)の行動は理不尽でなければならなかった。此岸は理不尽だからだ。
 科学で説明できないことがあるからといって宗教の優位性を証明しようとする人もいるが、それは違う。そもそも目的が違うのだから。宗教はこじつけ。へりくつ。
 しかしながら此岸にさ迷う魂はへりくつを求めるのである。
 なぜここにあらねばならぬのか?
 

 私は「わからないこと」を常に「私のことが嫌いだから」で説明しようとする。そして、それよりも自分のほうが私を嫌いであると思うことによって、自分の知の優位性を証明せんとしている。私は知っている。だから怖くない。


 だから私の神様は私のダメさ加減だ。