忘却が作り出す匂い

 久しぶりに実家に帰ったら完全に年寄りの家の匂いになっていた。あるいはもとからある程度年寄りの家の匂いだったのに住んでいる間は気づかなかっただけかもしれないが、それにしてもあんまりだと思うほど年寄りの家の匂いがしていた。年寄りの家の匂いを君は知っているだろうか。臭い訳ではない。しかし、私は年寄りの家のにおいが苦手だ。何かむなしさにとらわれてしまうのだ。

 年寄りの家のにおいは、年寄り独特の衣服の化繊と、蚊取り線香、埃、ぬか漬け、様々の匂いに分析できる。その匂いに刺激はない。くさいのでは、ないのだ。ただただ納得のゆかぬ、埒のあかぬ匂いなのである。

 実家に帰ったのは必要にせまられて実印を捺してもらいにであった。私も親父もお互いシャイボーイなので、シューをゲイジングしたままマイブラよろしく不明瞭にぽつぽつと、必要最低限のことだけを話した。スリープ……ライクアピロー………てなもんである。ついでに家に残してあった冬物のニットなどを持ち帰ったら、やっぱり年寄りの家のにおいがしていた。いま、とりあえず夜風にさらしてみているところである。

 私は年寄りの家のにおいが苦手だ。それは、年老いたが故の不自由が、非積極性が、何事へもの無関心が、生活の術の忘却が、作り出すものに思えるからである。年寄りは生活の術さえ忘れていく。手が不自由になって千切りができなくなるだけのみならず、千切りという概念を忘れていくのである。無関心。忘却。そうやって使われなくなったさまざまのもの、片付けられることのない季節家電、来客を失った客間、そうしたものが孕む停滞が、その堆積が、年寄りの家の匂いを形成していくように思えてならないからなのだ。