夏の終わりには

 アナフィラキシーショックに襲われたわけではないが、諸般の理由で放置していた。端的に言うと不精である。そういや昨日駅でとぼとぼ歩いていたら全速力のハチと正面衝突してしまったんですがお互い何が何だかわからなくって何もなかったかのように元の動作を続けました。
 
 この間部室で部員数名とおぎやはぎの義兄の夏の終わりを聞いてしまった。夏の終わりに会いたい人なんて別にいないんですが大変センチメンタルにさせられました。終わるよ、夏。
 
 そもそも私は夏が嫌いです。基本的に誰が誰を祝っているのか不明瞭な祝い事はなべて嫌いであり、当然のことながらクリスマスも正月も大っきらいである。特に正月が嫌いで嫌いでたまらないのだがこの話はまたそのうちすると思う(しょっちゅうしている)。夏なんて夏じゅうお祝いしているようなものではないか。夏というのは誰が誰を祝っているのか不明瞭な祝い事の最右翼なのである。
 その夏が終わる。私が夏を嫌いなのは、そして誰が誰を祝っているのか不明瞭な祝い事を嫌いなのは、誰が誰を祝っているのか不明瞭な祝い事に乗れないのがさみしくてさみしくてたまらないからだ。誰が誰を祝っているのか不明瞭な祝い事はたいていアベックのものであり、そしてそれ以前に子供たちの、つまり友人たちのものであり、何より家族のものであり、そのどれにも属してこられなかったしこれからも属せないであろうから私は誰が誰を祝っているのか不明瞭な祝い事が嫌いなのだ。「みんなで」何かをしているときに、ずっとそのみんなから疎外された自分を感じている。夏の終わりに感じる寂寥は、こうした種類のものだ。まだ誰が誰を祝っているのか不明瞭な祝い事に参加する希望を持っているから夏が終わるのがさみしいのだろう。
 
 ところで夏はいつ終わるんでしょうか。
 最近カルピスソーダがどこを探しても売られていないのでいよいよ夏も終わったかと思ってたんですが、今日京王線渋谷駅の売店で見つけたので夏はまだ終わってないようです。終わってない。断じて終わってない。まだ花火とかする。する。するんだもん。