金星の風

 雲のない淡色の落ち日が冬の訪れを叫んでいるようで11月も終わった。あまりに単純な空模様が異星の夕暮れのようだと思う。塗りつぶしの空、大きく霞む月、赤く硬質な大地に吹きすさぶ風。異星をあらわすにはこれくらい記号を並べれば十分だ。私たちは藤子不二雄に、手塚治虫に育てられたのだから。
 金星にも風が吹いている。
 親父は64になった。もうすぐ年金だ。家を燃やさんとばかりに侵入してくる冬の西日に曝された彼はおじいちゃん然としていて私は日曜日が嫌いだ。耳うとき父入道よほととぎす。
 金星にも風が吹いている。
 多摩川に夕暮れが映り込む。紫から青へ移り淡い朱色をなびかせる空がお前も死ねと訴えかけてくる。パラフィン紙越しに見る古書店の本の背表紙のような顔のない空。季節が移り変わるということは誰かが死んでいくこと。暖かい空気の停滞する電車の車両の中で外の空気を想像すること。考えても無駄だ、コートを脱げ、その肢体の曲線を曝せ、ランドセルって背中が蒸れるんだよねえ。妹を連れた小学生が赤いランドセルを腹の側に掛けて抱えている、そういう日常。停滞していると思い込んでいるのは私だけだ。風、風が吹いているのだ。金星にも。
 どこの星にも風が吹いているわけではないし、月が大きいとは限らないし、地面があるともわからない。でも金星には風が吹いている。金星の風はなぜ吹いているのか、わからないそうだ。でもいいの、私には地球の風がどうして吹いているのかもわからない。停滞する暖房の空気が想定されたエーテルのように何んでもない顔をしてすべてを侵していく。
 金星にも風が吹いている。