藁半紙

 むかし住んでいた家に行ってきた。むかしというのは私が五歳までのことだ。ひと昔というのが十年だと知ったのもその頃で、そのときはたいそう長く感じられたものだ。何せ自分の年齢の倍だ。今ではふた昔ぶん生きてしまったけれども。
 私がむかし住んでいた家は、横須賀線に乗っているとその赤い屋根が今でも見える。ひどい坂の上にあるのだ。どん詰まりの行き止まりにあるその家には妙に高い階段が玄関前に設けてあり、五歳の私はその一段めに上がれるようにならないまま引っ越してしまった。その家にはいま知らない人が住んでいる。もう二度ほど持ち主が変わったらしい。だから二十二歳の私にもやっぱりその階段を上がることはできなかった。八月の日差しの中にあっては大抵のものが輝いて見えるから、古くなったとも感じなかった。
 道を覚えていなかったから、タクシーに住所を告げて連れて行ってもらった。期待したほどの感銘はなく、ただ帰りは歩こうかどうしようかとずっと考えていた。結局歩いて帰ったら、案外歩ける距離だった。住んでいた頃はバスかタクシーを使っていたのに。二階に二部屋、一階は居間しかない小さな小さな家。ひどい坂の上、駅も学校も遠い家。死んだ母はたまに私が小学校にあがったらもっと便利なところに引っ越すのだと、まるで決まった計画のように言っていたけれど、それは幼児の私にしか話せない妄想だったのだろう。そんな才覚があればそもそもあんな鈍感な家の建て方はしないのだ。
 ことみちゃんちのマンションはなくなっていた。幼稚園への道は思い出せなかった。隣の家にはやっぱり猫がいた。同じ猫かどうかはわからない。八月の日差しの中にあっては大抵のものが遠い思い出のようだ。だから余計なことは思い出さなかった。
 駅に戻って横須賀線に乗り、品川で乗り換えて新宿で降りた。五歳の私と二十二歳の私が連続しているとは到底思えなかった。五歳の私は八月の日差しに沈んで、ホルマリン漬のように姿を保っているのだろう。そして今も、この私とは別に存在しているのだ。誰かが死ぬと、それまでの日々も道連れにして時を止めてしまうのではないだろうか。今私たちが暮らさねばならない日々は、あなたが死ぬ以前とは非連続な日々で、藁半紙の複写なのだ。